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青空の果て
 文字という記号で、心の中を映し出せれば
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 中学生の時分でしょうか。国語は大の苦手でした。
 文を読むのも好きでなかったし、なんと言っても作者の気持ちが解らない。
 何が言いたいのかが解らないのは当然(?)として、そもそも何が書いてあるのかが
 汲み取れないんです。高校くらいになって心機一転、阿呆のように本を読み始めると、
 よーやく何が書いてあるかくらいは解るようになりましたが、今度は古文と漢文が
 未知の領域過ぎます。いっそ全く違う言語であればまだ良いものを(英語も嫌いですが)
 中途半端に日本語に似た言語であるだけに、勝手に解釈して手に負えません。
 古文で書かれた「父親が九死に一生を得て喜ぶ話」も、私の脳内翻訳機にかかれば
 「父親が死んで悲嘆にくれた主人公が復讐に燃える話」にアレンジされます。
 テストの答え合わせをしていた先生も、思わぬ展開に呆れていたでしょー、きっと。

 ……と。
 話が最初からそれてましたが(それを逸れたと言うかは謎)、俳句って理解不能です。
 詩も短歌も解らない。きっとその短い言葉に色々なものが集約されているのでしょーが、
 それを私に読み取れというのは少々過酷な試練であるような気がします。
 そんなことを、伊藤園のお茶に書かれている俳句を見ながら思ってしまった暁です。

 そもそも、『古池や蛙飛び込む水の音』と言われても、「へ?」としか思えませんし
 『柿食えば鐘が鳴るなり法隆寺』については「柿なぞ食べずとも鐘くらいなるだろう」
 と思ってしまふし、『夏草や兵どもが夢の後 』。語感は好きですが、何を言いたいのか
 さっぱり解りません(涙)。……いえ、伊藤園とは全く関係がない俳句たちですが
 (ぱっと思いついたのがこの三つだけでして)。
 それにしても。俳句って作る人も凄いですが、それを評価する人も凄いなぁ。

 ……うーん、でも暁ってば理系だし?(唐突に言い訳)
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